予防医学は健康増進法へ
自然健康法実践会
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予防医学の限界!



これからは予防医学と言うけれど…


 治療だけでは不充分だ、これからは予防医学だと注目している人が多いですけども、じゃ、それでいいのかというと、現状での予防医学の立場では不充分ではないかと、私は考えています。

 と言うのも、全ての病気を予防するというのは非常に難しい事が一つ。そして、完全に予防できているのか?という疑問です。
 例えば、毎年インフルエンザの予防接種が施されていますが、それでは全ての病気のワクチンを使用するのか?そして、予防接種しても絶対に罹患しないのか?
 実際、予防接種をしていても、発病している方は臨床の場でいくらでも診ています。
 気休めでなく確実に予防できる方法は、発病してから実行しても治せるモノでなければならず、発病してからでは治らないような方法はやってもやらなくても大差のない気休めか、効果があったりなかったりする予防に過ぎないのではないでしょうか?
 効果ある予防法は、発病前であろうと発病してからであろうと健康になれるはずです。

 さらに問題となるのが例えば、風邪の予防は風邪に焦点が絞られますので、風邪のウィルスにさらされないようにとか、暖かくするとかそういう発想になってしまいます。

 そして、脳卒中や心筋梗塞の予防法は、血栓が原因という浅はかな考え方により、水分の補給を勧めていますが、これはもう一つの問題を起こしてしまいます。
 この世に摂れば摂るほどいいものはなく、水分も過剰摂取は排尿の必要性から腎臓に負担がかかり、発汗による排出のために循環器系にも負担がかかり、うっすらと発汗することで肌荒れにもなります。カビにも好かれる体をつくり、容易に水虫になる体質になり、消化器系の弱い人であれば下痢したり、胃液を薄めてしまうことにもなります。 一方を立てれば一方が立たず、の典型的な問題を起こしてしまいます。

 この考えの根底には、病気は敵であるという考えが存在しています。予防医学という観点からでは、どうしても上辺の小手先の技術に偏ってしまって、生命の根本原理に達することは難しいのです。
 治療や予防という立場ではどうしても病気を敵と見なして、それから身を守るという発想になってしまいます。でもこの考え方は、絶対に成功することはないでしょう。なぜなら病気は人間の敵ではないからです。

 私は現代医学の技術や、対処方法全てを否定しているわけでなく、それらは場合によっては利用すれば良いと考えます。手術や薬も全面的に反対ではなく、場合によってはそれらの併用を勧めることもあります。
私が現代医学の何を否定しているかというと、病気を敵視している考え方です。病気は悪い物と考えていることですね。だから闘病とか病いを克服するとか、そういう病気を敵視していかに戦って勝つかという発想を持っています。
  私は病気は決して悪い物ではないと考えています。それは我々を軌道修正するための注意信号であって、もし、本当に病気と闘って、病気を撲滅してしまえば、人間は正しい生き方を見失ったときに、元へ戻す方策やそれに気づくことができなくなるだろうと考えています。

 だから自然の法則に則った行動とか生活をしている限り、絶対に人間は病気や症状に、悩まされる事は決してありません。
 病気に対する苦痛だけではなく、その不安からも解放されることになります。

  そして、新たな視点を持って欲しいのですがそれは、病気ではなく健康から考えることです。 病気にうち勝つ必要はないと言うことです。

 どういう事かと言うと、あらゆる病気を治そう、あるいは病気を予防しようとこういう考え方はあくまでも、病気を対象にした考え方です。私にしても全ての病気や病名は知りません。おそらくどのお医者さんも、あらゆる科における全ての病気を記憶している先生は多分少ないでしょう。現在の病気を必死になって憶えたとしても、何日かすると新しい病名が増えてくるわけですから、ましてや病名すら名づけられてない病状も、たくさん存在してるわけです。原因不明の病気とか。で、それらを相手にしていくと、これはどうしても専門家が必要になってきます。現実にこの考え方で成り立っているから、医者という専門家があり、しかも内科に外科、耳鼻科、眼科、歯科と様々な細かい専門分野に別れてるわけです。
   だから、今一人の医者が全ての病気を対処出来るような状態ではなくなっています。これはどうしてかというと、病気を相手にしているからです。病気を相手にして生命の原理を無視しているからです。

 私が常々言ってることですが、は病気は考えなくていい。所詮、病名というのは人間が考えて創った呼び名です。胃や心臓や肺や肝臓とかの解剖学の名称も、人間が勝手に便宜上つけた名前です。だからその病名を名づけた経緯を考えると、概ねそれを発見した人が名づけたか、発見した人の名前がついたりしているのです。

 話を戻すと、それら一つ一つの病気を全部治そう、一つ一つの病気を治そう、防ごうと考えると非常に膨大な知識が必要となります。ここで考えて欲しいのが、これはうちの根本哲学にもなるのですが、嫌なことを避けていっても切りがないんですよね。人生に起こる嫌なことをなくしていこうとすると、問題がどんどん発生して、消しても消しても新たな問題が発生していきます。現に現代医学は、問題が発生してはそれを何とか解決し、また新たに発生した問題を追いかけて、永遠のイタチごっこをしているかのようです。
 あらゆる病気をどんどん攻撃した結果、どんどん新しい病気が生まれているのが現状です。
 では、どうすれば良いのか?というと、健康になれば良いんです。何を望むか?この望んだ状態に向かえばいいんです。
 健康に対しての問題の場合、何を望む状態かというと健康な状態。

 健康というのは、人間が正常に機能している状態です。
正常な機能は、一つの状態ですから、この健康という状態の秘密を紐解いたり、健康の秘密をつかむことは全ての人に可能です。膨大な病気の知識は必ずしも必要ではなく、健康という一つの状態の知識さえあればいいのです。


 だから私の主張はあらゆる病気に対して、今どんな病気に苦しんでいるとしても、その病気のことをあまり深く考える必要はないと言うことですね。癌であろうと、リウマチであろうと、肝炎であろうと、糖尿であろうと、胃潰瘍であろうと、全部健康になればいいわけです。今よりも明日よりも、明後日よりもより健康に、より健康になっていけば結果としてある水準を超えたときに、勝手にそれは治っていると言うことになるわけです。



病気であってもなくても、今より健康になればいい


  要するに予防医学は、健康増進法にならなければ実際には実現できません。そして、この発想から導いた方法は、発病していても予防と同じ方法で、しかも自分で治せます。
 さて、この健康増進法ですが、それは一部の人しか実行できないような物では、全ての人が実行することが出来ません。また、原理がなくては応用も利かず、効果の根拠もありません。

  私はもともと人間は健康で当たり前と考えています。ですから、一部の人しか実行できないような方法で、本当の健康を築けるとは考えていません。ましてや先進国にしか出来ない方法で、あるわけはなく、世界のどんなところでも実行できてこそ、自然の法則、宇宙の秩序に則った本当の健康法だと私は思うのです。

 さらに、全ての人が簡単に実行できる健康増進法は、正しい生活方法となるべきです。
 私の提唱している方法は日本医学というべき方法ですが、学生時代に関心を持った中国の鍼灸医学や、古代インド医学のアーユルベーダなどはあらゆる病気に対する対処方法がすごく詳しく、細かいんですね。同じ症状にしても体質別に非常に細かく分けて、非常に微に入り細にわたった凄く治療法が詳しい。
 それに比べて日本の伝統的な方法は、結構大ざっぱだと感じました。私は日本のこの原理をより発展させて、それらのレベルまで引き上げたいと考えていました。
  ところがある時期を境に、あることに気づいたんですね。というのは、なぜそれほど治療法が発展したのか?インドに至っては何千年も前に、すでに脳外科の手術の技術がありました。
   なぜそこまで治療技術が開発されたかというと、病人が多かったからです。
 今でもその効果はともかく、癌の治療法が無数にあるのはそれだけ癌患者が多いからです。だから、あらゆる患者にあらゆる治療法を試してみて、様々な臨床データを積み重ねて、いろんな効果や副作用を確認しながら、治療法を確立してるのでもし世の中に、癌患者が一人しかいなければ、おそらく癌という病名もつかず、治療法なんて全く確立されることもないわけです。しかもそれが微に入り細にわたり、ある種のパターンで完全に対処できるほど、発達したということは相当多かったと言うことですね。
 非常に罹患率の低い病気というのは、その対処の研究も後回しにされがちです。
 そこら辺を考えると、いかに多くの病人が発生していたか。と言う証明が治療法の発達に他ならない、と言うことです。

 そこでもう一度日本のモノに戻りますけど、じゃ日本はどうだったかというと、病人そのものが出なかった。
 健康で当たり前だった。と言うことは、そもそも病人を生みださないほど、健康と生命の原理を解き明かしていた。そして、その効果を確実に発揮させるような方法が、実生活法にまとまっているほどのレベルだったんです。
 特別な医療や予防でなく、日常の生活に馴染んでいたほどのレベルまで、達していたということです。しかも、生活法と予防法と治療法は一貫した、一つの方法でそれを実現していたのです。
 これに気づいたとき、中国の医学やアーユルベーダに対するあこがれや関心は、正直かなり薄れてしまいました。
 それなりに勉強はしていますが、昔ほどの強いあこがれは失せました。
 例えその健康を損ねても、日本人に積み上げられてきたその生活法は、簡単な方法で治してしまえる根本的な体質を、強くするというか、簡単に治せてしまう体を作り上げられる生活法だったわけです。



健康増進のためには
 さて、治療にも予防にも、そして健康増進にも一貫して健康体を作る具体的な生活法とは、何かを考えてみましょう。
 健康という状態を考えるとき、おそらくほとんどの人の感覚としては、病気の状態と健康の状態とは全く別の状態だと、考えてる方が圧倒的に多いでしょう。実はこの考え方がこの問題を複雑にして解決策をなくしている原因となっているのです。なぜかというと、実は病気と健康は連続的なのです。だから中間の状態があるわけです。これを連続していると考えないから、検査結果に出ないからということで異常なしと判断してしまい、何も施せない状態になってしまうわけです。健康でもないけど異常なしで処置できないということになってしまうのです。
 東洋医学はこの点が違っていて、少し疲れたとか、元気がないとか目やにが出るとか朝起きにくいとか寝汗をかくとか、この程度の症状でも治療が出来ます。
 健康になればいいと言う考えからすると少し逆説的に聞こえるかもしれませんが、「人間はなぜ病気になるのか?」という、この辺の原理を知ることが、健康のコントロールには必要なことなのです。
 では、人はなぜ病気になるのでしょう?続きは「人はなぜ病気になるのか?」へ

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